「またね」と言って微笑むことは、なんという残酷な欺瞞でしょう! 私たちは「さよなら」という言葉を発する決定的な勇気を持っていない。私たちの肺は脆弱で、喉は震え、唇は乾いている。「さよなら」はあまりにも重く、あまりにも茫漠に私たちの感覚にのしかかってきます。
しかし、「さよなら」から目をそらすことは決してできません。井伏鱒二が「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」と書いています。「さよなら」はすべての存在の影。すべての出会い、別れ、そして再会にさえも、「さよなら」は静かに寄り添っている。
そしてあらゆる言葉は「さよなら」から逃れえません。凡ての歌、祈り、そして沈黙は、「さよなら」の残響であって、「さよなら」の予感です。さよなら! ああ、そして「さよなら」はすべてことごとく「永遠のさよなら」なのです。もう、再び会うことはない。風景とも、人とも、自分とも。
「さよなら」は帰るべき家を持ちません。それはいつもよそ者で、いつも、いつまでもさまよい続ける。あてどなく、あてどなく孤独に。「来るべき者」、それは(いつも、いつまでも)地平の果てにいる。だから「さよなら」は太陽に、現在に、そして愛にさえ背を向けて歩きつづけるのです。
そんな「さよなら」でさえも抑圧して、再会の約束を交わすこと…私の心はここで、ついに破綻してしまいます。
さよなら!
01/14/2007
01/13/2007
敬愛なるベートーヴェン、あるいは裏切りという名の犬
いや、僕が冬休みの間に見た2本の映画のタイトルです(笑)。アエニスカ・ホランド監督の『敬愛なるベートーヴェン(原題:Copying Beethoven)』とオリヴィエ・マルシャル監督の『あるいは裏切りという名の犬(原題:36 Quai des Orfèvres)』。
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01/10/2007
01/09/2007
反復とZeit(スーパーエッシャー展レヴュー)
渋谷東急のBunkamuraザ・ミュージアムで1月13日まで開催中の「スーパー・エッシャー展:ある特異な版画家の軌跡」を観てきました。昨年のダリ回顧展の反省を活かして平日の午前中に。それでもかなり混んでましたが。
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01/08/2007
01/07/2007
01/05/2007
すっとこどっこい、すっとこどっこい…
日本民間放送連盟(民放連)による“CMのCMキャンペーン”のテレビコマーシャルの「いいCMってなんだろう」編が最近気になってます。特にモデルの香椎由宇が出演してるやつ。よくできていると思います。
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01/04/2007
「死んではいけない」と言ってはいけない(2)
この前の記事では、“「死んではいけない」と言う行為”の意味の二つの可能性のうちの一つを考えた。一言で言ってしまえば、「何人も自殺してはいけない」ということが正しいという証拠はまったくないから、「死んではいけない」と言ってはいけない、と主張したのだった。
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01/03/2007
“心の貧しさをどうにかする”

あけました、おめでとうございます。
“心の貧しさをどうにかする”というのが今年の目標、といえばまあ目標です。今考えただけなのですぐ忘れてしまうでしょうが。「どうにかする」と言ったって、どうしていいか見当もつきませんし。
とにかく、僕のようなダメ人間がいる、ということが僕にとって最大の謎の一つで、その謎は僕には解けないのです。なぜって、それは僕がダメ人間だからです。ただ、この謎は他の誰にも解けない。なぜって、他の人はダメ人間ではないから、この謎が謎たりえないからです。
写真のオブジェは祖母にもらいました。
正月三ヶ日のテレビで一年分は笑ったと思います。今から内Pスペシャルだし! これで一年間憂鬱でも大丈夫…だといいんですけどねぇ(はぁ)。