結果は、最初に思った通り、とてもよかった。哲学は最大問題は「死」であること、哲学は一種の病気であること、哲学は(道具的な意味では)何の役にも立たないこと、等々、僕としてみれば当たり前ですが、一般的には誤解されがちなことがしっかり書かれています。
「しっかり」書かれているというのは「本気で、真摯に、熱意を持って」書かれているという意味で、この点については僕は好感を持つと同時に、非常に複雑な気持ちにもなりました。というのも、「哲学を本気でやる」ということが、僕にとっては異常なパラドックスであって、メタ哲学の最大問題の一つであるように思えるからです。
他にも、哲学の問題の“普遍性”や、意志や因果の問題の解説には少し首を傾げる部分も個人的にはあったのですが、逆にこれでブログのネタになるなと思っていたら、解説ですでに加藤尚武氏が僕の疑問をほとんどすべて正確に指摘されておられました。この解説は非常におもしろいので、本文を読んだ人は解説も読むべきだと思います。本来、こうした批判的な対話は哲学の営みの中心に位置するものです。
一度通読するとわかると思いますが、この本のメッセージというのはことごとく「Memento Mori(死を忘れるな)」という言葉に集約されていて、哲学がどんなものであるか、というのは目次を見ただけで大体わかるようになってます。実際、目次の項目の言葉を使ってこの本のテーゼを端的にまとめることができます。すなわち,
- 「哲学の最大問題は「死」である」(第1章1節)
- 哲学は「思想」「文学」「芸術」「人生論」「宗教」「科学」のいずれでもない(第2章)
- 哲学の問いは、例えば「時間」「因果関係」「意志」「私」「他人」「存在」などに関わるものである(第3章)
- 「哲学は何の役にもたたない」(第4章1節)
- 哲学者は「哲学病」が原因で生まれる(第5章1節)
というわけで、内容としては第1章が本質をすべて語ってしまっているので、ここまで読んで全くピンとこないという人は、もしかすると全部読んでもピンとこないかもしれません。逆に、「哲学」って深遠そうで難しそうで聞こえが良いけど、どういう意味で使われてるのかどうもはっきりしない、という人には、第2章がおもしろく感じられるでしょう。
第3章では、哲学の基本的な諸問題のうちのほんの一部のこれまたほんの“さわり”(一番おいしいところ、という意味)だけが解説されています。哲学をすでにかじったことがある人には、ここはそれほどおもしろくはないかもしれません。そうでない人は、この章を読めば、いよいよ哲学というのがいかに病的な行いであるかわかるかと思います。
僕は一応普通の哲学専攻の大学生並みには哲学をかじっているので、第3章はそれほどでもなかった(僕の一番関心のある「言語という謎」が入ってないし!)のですが、本の後半(第5〜7章)に紹介される著者の大学時代の自伝的エピソードや、学問としての哲学に関する議論に現れるちょっとした日本論・日本人論はとてもおもしろかったです。
ちなみに解説の加藤氏は次のように書いています。
なんといっても本書の最大の魅力は「なぜ哲学書は難しいのか」(第七章第1節)のカントの『純粋理性批判』の解釈である。[中島の他のカントに関する本と比べても]本書の叙述ほど文学的に見事のカント解釈はないのではないかと思う。私は、この部分を読まずに、この本の扉を閉ざすことは止めた方がいいと読者に勧告しておきたい。確かに著者が哲学書の難しさを説明するための例として選んだのは『純粋理性批判』のなかでも決定的に重要な一文(統合的判断が分析的判断の超越論的条件であるということが示唆されている部分)で、その解説もとても鮮やかなのですが、僕としてはこの数ページをここまで強く推す加藤氏の視点がおもしろいと思います。というのも、このカント解釈は『哲学の教科書』の主題から考えれば一つの「実演」であって、本文の骨格とは少し離れた部分にあるからです。
かくいう僕も、この本の中で一番感動した言葉は、第4章の最後(253ページ)に引用されているモンテーニュの言葉ですし、同じ章で挙げられている中原中也の詩の引用のセンスにもとても感心しました。他にも、特に本の前半には魅力的な引用や“余談”がたくさん散りばめられています。つまり、「本文以外」のことが一番心に残っている、ということです。
結局、(それがどういう意味であれ)“生きること”が「物語」だったなら、哲学はお話の「本文」に登場するような代物ではないでしょう。哲学者というのは、本文と脚注の関係がひっくり返ってしまっているか、あるいは「序文」をいつまでも終わらせられない特異な人種です。このアナロジを考えると、「本文以外」に注目するということは皮肉にも哲学的なのかもしれません。
(実は「本文以外に注目する」ということは「本文を“本文として”見る」ということに他なりません。それは生きることの中断[エポケ]であり、「読む」こと、つまり「解釈する」こと、の始まりでもあります。こういう意識は『哲学の教科書』には特徴的に欠けているように思えます…)
ちなみに、このブログ『Cahier No.9』のサブタイトルは、「Footnotes to an unwritten life(書かれていない人生への脚注)」です。全然哲学的じゃなくてつまらないかもしれませんが…。