07/27/2008

「博士なんかになってどうするんですか…?」

「ど、どうする、っていわれても…(何かをどうかしようと思って博士号を取るわけじゃないし…汗)」

というのが僕の答えでしょうか。

読売新聞(オンライン版)の記事。博士課程修了者の就職難が深刻化しているそうで、昨年度のデータでいうと、実に修了者の25%が浪人状態とのこと。

初めて知りましたが、どうも90年代のはじめに「大学院生倍増計画」という(やや無茶苦茶にも思われる)計画があって、最近20年弱で日本の大学院生は2・5倍以上(約10万人が約26万人)にも増えているらしいです。

そうでなくても今の若い研究者には優秀な人が多くて競争も激しく、しかも大学機構の上層部に居座る世代のプレッシャもあって、研究者への門扉は非常に狭いというのに、これでは「今や大学院はフリーター生産工場」といわれても仕方ない。

想像に難くないことですが、「特に苦労しているのが文系の人たち」で、これは日本には文系の博士が研究できるような機関は大学以外には皆無だということも大きいと思います。そりゃ世界どこでも、軍とかテクノロジとか、理系の研究機関の方が多いし需要もあるのだろうけど、それにしても日本の文系博士の境遇はかわいそうです。

…なんて他人事のように書いているけど僕もまた同じ穴のムジナで、というか哲学の博士号なんて文系の中でも“つぶし”のきかなさでは圧倒的なわけだから、僕なんかにとっては日本での就職への道はほぼ閉ざされているに等しい、と言ってもいいかもしれない。

例えば文学とか、外国語とか、歴史が専門だったら、自分で本を書いて暮らすことは叶わないとしても、出版社で働いたり、翻訳したり、また大学教授にはなれないとしても、高校や予備校で教えたり、いろいろ道はあるかと想像します(それでも相当きついだろうけど)。しかし、哲学なんてやっちまったが最後、こういう選択肢も残されていないわけです。

博士号をとるのは普通は20代後半ですから、それだけで民間企業は難色を示すわけですが、記事によるとこれに加えて、博士号を取得した人達は「「専門知識で頭はこちこち」「社会常識や協調性に欠ける」といった偏見が広がっている」らしいです。

この記者はこういうイメージを「偏見」と書いてくれていますが、あながち間違いでもないように思えてしまいます。自虐を続けるつもりはないのですが、哲学というのはあらゆる特殊な知識に先だってその基礎付けをしようっていうことを目指す学問ですから、それ以外の実践的な知識なんかには、基本的にはいつまでたっても辿り着かないわけです(倫理や政治哲学などは例外的)。

それに、あらゆる社会常識を疑い、核心にある真理を上辺だけの協調をぶちこわして抽出することが哲学するってことでなくてなんなんでしょう! (…まぁこれはちょっとtongue in cheekですが、本気でこう確信してる哲学者はたくさんいるだろうし、とにかく哲学者ほど常識が通用しない面倒な人達も珍しい。)

だから、若いうちから哲学を志して、「哲学者」というものを社会的な尊厳のある仕事して認めてもらおうとすること自体、そもそも間違っているのかもしれません。哲学がやりたかったら、ディオゲネスのように世を捨てて、樽の中で暮らしながらやるとか、デカルトのように科学者としてとりあえず生をたてて、晩年、経済的・社会的な心配がなくなってから心いくまで省察するとか、スピノザのようにレンズ磨きとして迫害されながら神(即ち自然)について考えるとか、そういう風にしなきゃいけないのかもしれません。

(マルクスが思い描いていたユートピア的共産主義の世の中では、各々が各々の望む通り、朝には狩りをして、午後は魚釣り、夕暮れには羊の世話をして、夕食後は哲学に興じる、なんていうことができるわけですが…。)

でも、研究分野と直接関係ないような就職先を必死で探している人たちって、どうして最初から大学院なんていくことにしたのかなぁ、とも思います。大学院に行こう、と本気で志すのはだいたい成人してからでしょうから、その判断が後でどういう影響を自分の人生設計に及ぼすのか、考えることはできるはず。

この記事の最後の方に、スポーツ社会学で博士号をとって、最初はそれに関連した仕事を探したのだけどうまくいかず、でも「研究を通して、自分には分析力、論理力、発表力が身についているのではないか」と考え、結局「IT関連のデータ解析会社」に就職した、という人が紹介されています。

…ちょ、ちょっと待て、と。この人が、大学卒業した後5年も一生懸命専門分野での研究を重ねたのは、一般企業に入社するための「分析力、論理力、発表力」を身につけるためだったんでしょうか? そういう力を一般企業で戦力となる程度にまで鍛えるのは大学の学部教育の目的ではなかったのでしょうか? もっと生々しい話をすれば、そういう場所で終わるために、大学院生活5年分のお金をかけたの? 人生丸5年費やしたの?

まぁこういうのはきっと言い過ぎ、でしょう。ちゃんと就職して、社会進出できたということだけで本当に立派なことです。僕にはそういうことはきっとできないだろうなぁ、と思います。そうしたら、身も心も晴れてニートだなぁ。また他人事のように書いてますが。

さて、博士号をとるということがどういうことを意味しているのか、端的に、そして簡潔に語っているお話がこのページにあります。ずいぶん古いウェブページですが、だいたい今も状況は似たようなものでしょう。「童話」とありますが、完全にシリアスなノンフィクションですね(笑)。博士号を目指す人、そういうひとが近くにいる人はご一読あれ。上に書いたことからもわかる通り、僕としては、このお話の最後の8人にこそ共感を覚えてしまう、というか、シンパ(sympathetic)に感じてしまうわけです。

posted by Yuuki at 03:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | On Schooling/Education
Comments to this post
この話に私が食いつかないわけが無い
最後の「童話」がシリアスすぎて笑えません

言語学も潰しのきかない分野です。
例え言語学で有名な大学を出て有名な教授について論文を世に送り出しても
未来は何も保証されてないです。
そんなアカデミックな人達をたくさん見て来ました。

好きな事をやれる代償なのかなーなんて最近は考えています。
Posted by 馨 at 07/27/2008 04:35
>馨
多分コメントもらえるんじゃないかと思ってました(笑)。

言語学は哲学といい勝負ですね(あんまりよくない意味で・笑)。フィールドワークや実験をやったりするような分野はまだ救いようがあるのでしょうが、theoreticalな分野だと厳しいでしょう。あとは現実的な手としては、認知科学者と手を組むとか、とか広い意味での人間科学の方向に行くことでしょうか。

「未来が保証されていない」というのは今の世の中どの仕事も同じだよ、という人もいるかもしれませんが、30代目前の文系博士には就職に際してあまり選択肢が残されていないのは確かでしょうね。

「好きなことをやれる代償」という言い方は、僕はしませんが、そういう考え方が多分一番健全で納得いくだろうと思います。
Posted by Yuuki at 07/27/2008 06:38
Post a comment
Name: [required]

Email:

Web:

Comment: [required]

Code: [required]


*画像の中の文字を半角で入力してください。
*Please enter the word in the image.


“Preview”で確認後、“Submit”で投稿して下さい。
TrackBack URL for this post
http://blog.seesaa.jp/tb/103662270

Trackbacks to this post