10/07/2008

1週間で最低60時間

今日は哲学科の新入生のための説明会とマートン・コレッジの入寮式がありました。運悪く時間が重なってしまっていたので、ちょっと行ったり来たり、出たり入ったり(幸いマートンと哲学科の建物は同じ通りでとても近いのでこういうことができた)。

入寮式では100人くらいいる新しい院生の名前が一人ずつ呼ばれ、前に出て寮長(“Warden”)と握手して、Warden's bookというノートにサインをしました。これで正式にマートン・コレッジの一員と認められる、ということらしいです。なんかフォーマルなのかインフォーマルなのかよくわからん式でしたが、Wardenは優しそうで聡明そうなおばあちゃんでした。

哲学科の新入生説明会。アメリカの大学のように授業登録とか必修科目の説明とかがここまでまったくなかったので、今日色々説明されて実感もわいて来るかな、と思っていたらそうでもありませんでした。

僕がこれから2年間従事するB.Phil.というプログラムは、監督教官(スーパヴァイザ)の個別指導(1学期に4本論文を書いて読んでもらう)を中心に進められるのですが、この個別指導の他には、基本的には完全に自由。哲学科であろうが他の学科であろうが、院のゼミであろうが学部のレクチャであろうが、出たいクラスに出たい時に出よ、ということです。

つまり、考え方としては、オックスフォード大学大学院に哲学で入ってくるような学生は、ほっておいても自分でどんどん勉強するだろう、だからレクチャや個別指導は個々の学生の研究のきっかけとガイダンスを与えればよい、ということです。

大学院で研究する期間、とくにB.Phil.をやっている2年間は、人生の中で一番哲学だけに没頭できる時間なのだ、と言われました。それで、1週間に最低60時間は哲学に費やしていなければ、やるべきことをやっていないと思った方が良い、とさらりと言われました…

…あまりにさらりと言われたので、僕も僕の周りの人達もそれがジョークなのか本気なのかわかりませんでした。でもその後の話を聞いて八割型本気であるということがわかりました。

ぬぅ。

1週間で60時間かぁ。寝る時間よりたくさん勉強しろってことなのかな…。

大丈夫か、僕。

* * *

困ったのは、(英語以外の)外国語を学ぶ必要はまったくないと言って良い、と言われたことです。新しい言葉など勉強している暇などないはず、とも。僕としては、大学が提供している外国語コース(リソースはかなり豊富)を利用していよいよドイツ語をはじめようと意気込んで今朝申込書をもらってきたばっかりだったのですが…。

あそこまではっきり「英語だけ知っていれば哲学はできる」という意味のことを言うとは、この哲学科も結局は圧倒的に“分析的”“英米系”だということです。さて困った。ドイツ語やろうかな、やめよかな。その前にやる時間はあるのか…。今学期のスーパヴァイザであるDr Walkerに聞いてみます。

説明会の後のちょっとしたレセプションで、2学期と3学期に指導教官になってもらおうと考えているDr MulhallとDr Avramidesに挨拶しました。僕にとってはロックスターに挨拶するようなもので、緊張しましたが、普通の人間でした(そりゃそうだ)… しかもなんとDr Avramidesは去年の秋に審査のために提出した僕の論文(「文字通りの意味」に関する論文)を覚えているということでした。日本人の名前が珍しかったから覚えていたというだけでしょうが、あのペーパはかなりのやっつけ仕事なのでちょっと恥ずかしい。

* * *

今朝携帯電話を買いに、英国唯一のiPhoneのキャリアであるO2(オーツー)に行ったら、留学生はイギリスの銀行の口座のカードで保証金を100何ポンドだか払わなくてはいけないらしく、結局奨学金の払い込みがあるまで契約は結べないことがわかりました。ということでいろいろ写真をお見せできるのは早くて今週の金曜日と言うことになりそうです。


posted by Yuuki at 05:56 | Comment(3) | TrackBack(0) | Journal/Gibberish
Comments to this post
>>とくにB.Phil.をやっている2年間は、人生の中で一番哲学だけに没頭できる時間なのだ、

って人生の中ですごく贅沢な時間ですよね。
一週間に最低60時間なんてきっと哲学に没頭していたら
あっと言う間ですよ〜

同じ様な哲学オタク(失礼!)が集まって勉強出来る時間って
とても貴重ですよ〜



私も最近は一日25時間くらい勉強してます



Posted by 馨 at 10/07/2008 13:54
>馨
アイディアとしては、ここに来てまで哲学をやるような人は、どれだけ哲学しても苦じゃないでしょう、むしろ楽しいでしょう、幸せでしょう、ということだと思います。

ですが、個人的には、「一体哲学はなんのためにあるのか、どうして哲学を勉強するのか」という“メタ”な問いを絶えず意識しなければ哲学者とは言えんのではないか、と思います(クサいことを言うようですが)。つまり、哲学をすればするほど哲学という営みに対する疑問も強まって来る。哲学者のくせに、哲学そのものに何の疑いももたないとは、一体どういうことなのでしょう。
Posted by Yuuki at 10/11/2008 21:58
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Posted by Mark at 01/11/2017 12:57
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