「オリジナルアルバム」という表現は今では今でも使われているのだろうか。今の中高生は自分のお気に入りの「オリジナルアルバム」を持っているのだろうか。
「オリジナルアルバム」というのは(例えば)「ベストアルバム」「コンピレーションアルバム」「オムニバス」「企画もの」以外のアルバムのことで、言ってしまえば「普通の」アルバムのこと。
ポピュラー音楽を聴きはじめて(ようやく)10年近くたつ僕にはたくさんの「お気に入り」のオリジナルアルバムがある。いわゆる「名盤」と呼ばれるような非常に有名なもの、例えばThe Beatlesの『The Beatles』(通称『White Album』)やMiles Davis Quintetの『'Round About Midnight』などから、個人的に思い入れの深いもの、例えばB'zの『Survive』、Wilcoの『Yankee Hotel Foxtrot』、SOPHIAの『ALIVE』などまで、とにかくたくさんいろいろ、枚挙にいとまがない(久しぶりに使ったなこの表現)。
これらのアルバムは、そのまま「ベストアルバム」の名を冠するには少しキャッチーさにかける曲が収録されていたり、制作当時のアーティストの癖が色濃く現れていたりして必ずしも「representative」ではないけれども、一枚通して聴いた時の完成度が非常に高く、アルバム全体を一つの「作品」としてみた時その総合的なクオリティの高さを感じさせるものである。
オリジナルアルバムの「まとまり」というのは非常に不思議なもので、別に収録曲すべてが一定のテーマに沿ってつくられているわけでも、曲調に統一感が感じられるというわけでもない。けれども、くまのぬいぐるみとミニカーが一緒に入っているおもちゃ箱のように、良いオリジナルアルバムにはなぜか統一感が感じられ、一つの物語(短編集かもしれないけど)としての魅力が感じられる。お気に入りのオリジナルアルバムを持つことは、なにか大変に「親密」な行為であるように思える。
さて、CDが売れない時代である。「音楽業界全体の停滞」や「ポピュラー楽曲やアーティストの質の低下」なんかが指摘されているけど、それにもまして音楽メディアの流通に影響を与えているのはテクノロジーだ。違法ダウンロードやストリーミングの横行は言うまでもなく、合法的にも「着うた」のダウンロード、また「iTMS(iTunes Music Store)」をはじめとするオンライン販売の台頭などが、「オリジナルアルバム」どころか、「アルバム」「シングル」という考え方まで過去のものとしようとしている。
気に入った曲があれば、インターネットで検索して、その曲だけすぐにダウンロードすれば良い。携帯電話文化のことはよく知らないけれど、「着うた」でアルバムまるごと購入と言うのは少ないケースではないかと想像する。アルバムに収録されている曲であっても、オンラインストアでは曲ごとに購入する事が可能である。
結果として、CDという(物理的な)「もの」がユーザーの手に渡る機会は減り、またコンテンツの面でもベストアルバムや企画物のコンピレーションアルバムが多く制作されるようになって、オリジナルアルバムを一昔前と同じ環境でリリースする事は困難になる。
これは多分に古い人間(20世紀の人間)の言い分だと思うけど、これってちょっと寂しいことじゃない?
確かにポピュラー音楽の曲ってのはそれ自体である意味では「完結」しているもので、アルバムを曲にばらして販売するという事自体に反対しようなんてことは思わないけど、やっぱりアルバムに収録されている曲をそこから抜き出す事で失われる「文脈(context)」みたいなものがあると思う。その曲がそのアルバムのその位置に収録されていた事によってはたされる特別な「役割」みたいなものがあるんじゃないかと。それを作品として昇華させたものが「オリジナルアルバム」ってものじゃなかっただろうか。
そういう「一曲」って単位を越えた「つながり」を感じたり、その「流れ」を良いな、と思ったりする感性は割と大事な気がするんだよね。何でこれがここにあるのか、って考える力。本を読んでてビシっと稲妻が走るような最高な「パッセージ」があるけど、それ以前に「物語」っていう「全体」があるわけで。好きな曲だけ買って楽しむっていうのは、スイカだったら三角の頭の部分だけ、ショートケーキだったら苺だけ、みたいな、食べたいところだけ食べるような日本の「お子様文化」さえ垣間見える気がする。
楽曲の流通がデータ化することで失われる物は他にもある。上にも示唆したけどそれはまさにCDっていう手に取れる「もの」のこと。プラスティックのケースであったり、ジャケットであったり、ブックレット(歌詞カード)であったり。そういったものを全部ひっくるめてひとつの作品だったんだよね。
iTMSで配信されているほとんどのアルバムには電子ブックレットさえもついていないから、歌詞はもちろん、演奏者や作詞作曲のクレジットなんかもわからない。歌詞がわからないってのはポピュラー音楽にとっては由々しき問題だと思う。
「ジャケ買い」って言葉があるくらいジャケットのデザインも重要で。音楽で表現できないようなこと、またアルバム全体のコンセプトを直感的にイメージで示す事ができる。もちろんブックレットの写真だけじゃなくて、紙の材質、ピクチャレーベル、三面背ボックス、その他の特典、と、手段はたくさんある。
音楽以外のことで「勝負」をかけるようになるとそれは本末転倒だけれど、こういう点に力を入れてアピールできると言うのはポピュラー音楽の強みだと思う。アルバム一枚あたりの収録曲のヴァラエティが少なくて同じ録音が何度も再発されるクラシック音楽ではこういうことは難しい。CD屋さんに行けばわかると思うけど、クラシック音楽CDのジャケのデザインはひどくて、かなりださくて適当な印象を受けるものが多い。
日本の本の装丁は本当に素晴らしくて、デザイナーが「本」という作品をより魅力的な物にしようという意気込みが伝わってくる。そういう同じ考えが良いアルバムには感じられるんだよね。なんでもダウンロードされるようになって、「手に取れる魅力」はだんだんと軽視されて失われて行く。「大切なことはかたち以外の目に見えないものだよ」なんて言うのが流行ってるけどこれは全く別問題だよね。
こう考えると「オリジナルアルバム」ってのは岐路に立たされている一つの文化なのかもしれない。これからたくさん音楽を聴く若い人達には是非たくさんのお気に入りのオリジナルアルバムができたらいいと思う。それは色彩鮮やかな思い出を形にしたような、とても嬉しい経験だから。(どうにも年寄りくさいな終わり方だな…)
07/07/2006
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