07/14/2006

「オチ」のない話

この前『トリビアの泉』で学んだんだけど、女性から見て、女性が話し終わった後に「…で、オチは?」と訊く男はデリカシーがないんだって。

それでまあ自分がデリカシーのない男だということを再認識させられたのだけど、この「オチ」を求める傾向はどこからくるのだろう? その理由はなんだろう?

なんとなくだけど自分では、「…で、オチは?」と訊くことには、それによって「オチ」あるいは「(起承転結の)結」がない話に「オチ」をつける働きがあるのだと考えていた。つまり、「…で、オチは?」という言葉は万能の終止ケーデンスであって、一つのエピソードをスッキリ完成させるものじゃないか、と。だから人(特に男性)は寧ろ親切心から他人の話に「オチ」を求めるのだ、と。

でもこの考え方は「あらゆる話にはある程度明確な『オチ』があることが好ましい」という前提があって初めてなり立つものだ。ということは、「…で、オチは?」と訊くことを本当に正当化するためには、まずこの前提、つまりなぜ「オチ」があることが人の話には望ましいのかについて議論しなければいけない。(なんだか哲学みたいな話の進め方だな…)

起承転結」という概念に今日「お笑い」に見られる漫才やコントの基本的な構造を照らし合わせると次のようになる。まず、一つの笑いのシークエンスの最初には「つかみ」や「ふり」があって、これがにあたる:
A:「いや〜今年の夏も暑いですねー!」
B:「そうですねー」
A:「Bさんは今日はホントに暑いなぁ、って時はどうしてます?」
この「ふり」に対して「ボケ」担当の人がおもしろい応答をする。これが「ボケる」ということだけど、どんな種類の「ボケ」でも、そのおもしろさというのはそれが日常生活では到底予測しないような突拍子もない返事であることから来るところが大きいので、これはにあたる。最後に、この「ボケ」に「ツッコミ」担当の人が鋭く応答する。これがにあたる:
B:「そうですねー、僕はサングラスをかけて自宅のプールのそばでゆったりとしたデッキチェアーにもたれながらフルーティなカクテルを飲みますね」
A:「欧米か!
いわゆる「ネタ」というのは、構造的に考えればこのようなやりとりの繰り返しだ。もちろん、「ネタ」全体を見たときにも大きな意味での「起承転結」があること(落語のように)が望ましいけど、僕がテレビで芸人を観る限りでは、最近は一つの「ネタ」の中で笑いのメリハリをつけて、ジェットコースタのように自然な盛り上がりをつくって終わらせようとする努力はあまり感じられない。その代わりに、同じような質の(言ってしまえば単調な)「ボケ」と「ツッコミ」が続いて、突然プツっと終わってしまう「ネタ」が結構ある。少し前までは、「ネタ」の最後にはそうであることがわかる特徴的な「ツッコミ」の言葉が使われることも多かった(「いい加減にせぇっ!」「もう付き合ってられませんわっ!」等)

とにかく、上の例を見るとどうやら「オチ」というのは「ボケ」と「ツッコミ」のペアーによって成り立つものらしいと考えられる。これを普通の会話に置き換えると、起承転結の転にあたる「ボケ」は簡単には「意外な展開」であるといっていいんじゃないか。単調な日常生活にちょっとした逸脱がみられ、「おお、それでどうなったの?」と思わせるような話の「おもしろみ」がある部分のことだ。そして「ツッコミ」はその「意外な展開」の「解決および結果」にあたる。

ここで気がつかなきゃいけない重要なことは、生活の中になにか「意外な展開」があっただけで、それを誰かに伝えたいと思わせるには充分であるということだ。何か普段と違ったことが起こった、それだけで、その展開の結末がどうだったとか、それに対してだれがどう反応したのかなどは関係なく、話の「タネ」には充分であるように感じられてしまう。ところが、今見てきたように「オチ」は「ボケ」だけでは成り立たない。「ツッコミ」があって初めて「オチ」が完成するのだから。

これこそが「オチ」のない話が発生する原因じゃないか。文化人類学では会話に対する男女の考え方の差などがたくさん研究されているけど、それによれば、男性は会話からなにか問題を解決するための方法を導きだしたり、会話にでてくるストーリーから何かを学んだりしようとする傾向があるのに対して、女性はただ相手に何かを話し、相づちをうち、時間を過ごすというような会話という「行為」そのものを重要視する傾向があるらしい。

ということは、女性は生活の中に「ボケ」にあっただけで、「ツッコミ」をよくまとめないうちに話してしまう傾向があるということだ。でも女性にとっては「会話」そのものが重要なので、結論であるところの「ツッコミ」を考えて話に「オチ」をつける必要をあまり感じない。これこそが、男性が女性の話に「…で、オチは?」と訊くことが多く、逆に女性はそれをあまり理解できずにデリカシーのない人だ、と感じてしまう理由である。もちろんこれは一般的なレヴェルの話だけど。

えーと、このポストでは、話の「オチ」とは何か、そしてなぜそれを求める人がいるのか、っていうようなことについて少し書いてみたわけだけど、話が長くなった上に答えは半分しか出せてないね(笑)。僕は確かに「…で、オチは?」って訊くことがよくあるけど、決して「オチ」が「ボケ」と「ツッコミ」のペアーという形である話が望ましいとは言ってないし、そう思ってもいない。まあその辺の話はまた別のポストでしようかな、と。ここまで読んでくれた人は、ありがとう。次はもうちょっと簡潔に、オチのすっきりした話にしますので(笑)。

posted by Yuuki at 22:55 | Comment(1) | TrackBack(0) | On Language
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関連ポスト:
「オチ」のない話、のオチ
http://cahier9.seesaa.net/article/20936989.html
Posted by Yuuki at 04/20/2007 06:13
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