12/22/2006

「死んではいけない」と言ってはいけない(1)

相次ぐ若い人の自殺をうけて、『死んではいけない』と銘打たれた本があるテレビ番組の企画で出版された。僕はこの本を読んでいないし、内容はよく知らない。ただ、「死んではいけない」というメッセージが直感的に気に障る。何かが間違っているように感じる。大変に嫌らしいタイトルだと思う。「死んではいけない」と言ってはいけない。

なぜ「死んではいけない」と言ってはいけないか。この問いに答えるためには、“「死んではいけない」と言う行為”がどういうことなのか、それがどういう意味を持っているのか、をまず考えなければいけない。二つの可能性を考えよう。

第一に、「死んではいけない」という文が、なんらかの命題を表しているという可能性。簡単に言えば、「死んではいけない」という文が「何人も自殺してはいけない」ということ(命題)を表しているという可能性である。何をあたり前のことを、と思うだろうけれど、ラッセルが言ったように、当たり前のことから初めてとんでもない結論を導きだすのが哲学である。

さて、この場合問題になるのはもちろん、この命題が真か偽かということである。つまり、「死んではいけない」というのは本当かどうか、ということだ。僕個人の直感的な確心を述べると、この命題は(ほとんど明らかに)偽である。一般的にも個別的にも、「何人も自殺してはいけない」ということが正しいということはないと思う。逆に、「何人も自殺してはいけないということはない」という命題の方がずっと真実に近いものに感じられる。

人間の考え方の歴史を顧みると、「自殺はいけない」ということが「禁止」としてはじめに語られはじめるのは、創造主としての神への信仰が形成されてからのことである。命は神様から授かったもので、すべての命には理由があり、それはすべて最終的には神様のものであるので、それを自ら絶ってはいけない、という考え方である。かくして、例えばキリスト教においては自殺は重い罪とされている。

具体的な話を少しすると、例えばダンテは『神曲』の“地獄編”において自殺を「自らに対する暴力」とし、全部で九つある地獄の階層の中で三番目に深い場所に自殺者が置かれているとした。ここでは、彼らはとげのある奇形の木に姿を変えている。また、自らの体を破壊した罰として、復活の時においても彼らには新たな肉体が与えられない。ハーピーという女性の顔と鳥の体をもった怪物が自殺者である木々をつついて苛める。枝が折れるとそこから血が流れ、その時にだけ彼らは話すことができる。折れた枝はその度にその都度修復され、苦しみは永遠に続く。

しかし、ユダヤ・キリスト教以前には、自殺は罪である、という考え方は少なくとも一般的ではなかった。「創造主」とか「罪」という概念がないのだからこれは当然であるが、とにかく「絶対に自殺をしてはいけない」ということはなかった。もっとも明らかな例として、ストア派は、状況によっては自殺することが合理的な判断であり得ることを示唆している。(ヘレニズム哲学はアリストテレスの影響を強く受けているから、合理的であるということは即ち人間的であるということである。)また、プラトンは『国家』において、心身の深刻な障害が原因で国家(Kallipolis)の反映に貢献できない人間に対して、死を選ぶことを勧めるようなことを言っている(当然、ソクラテスの対話者はそれがいかにも合理的なことのように同意する)。

さて、それでは、世界でも突出して宗教に対して無関心、無知であり、信仰という概念とはまったく無縁のように感じられる今日の日本で、「自殺はいけない」という主張が正当化できるだろうか? 言うまでもなく、キリスト教的に「創造主」と「罪」の概念を持ち出すのは不可能に近い。それを信じる人は圧倒的に少ないし、そのような考え方は議論の対象にもならずに否定される。そのような考え方が、今自殺を選んでいるような人達を生に向かって説得できるような力を持っているかと言えば、大いに疑問である。遠藤周作が言ったように、日本の信仰の問題は日本人の究極的に無関心な汎神論にある。

(こう考えると、「自殺はいけない」という主張の正しさは全然明らかでないにも関わらず、「なぜ」自殺をしてはいけないのかということはあまり考えられていないし、それを論証しようという試みもほとんどなされていないということに気がつく。「なぜ」自殺をしてはいけないのか、自殺を選んだ者はこの問いに答えられなかった者である。しかし少なくとも彼らはこの恐ろしい問いを投げかけた。この点は後にまた追求する。)

ただ、「罪としての自殺」を非宗教化した物言いとして非常に広く使われているものに、「親からもらった命をむやみに棄ててはいけない」という主張がある。一般人から専門家まで多くの人がこれと似たようなことを言っている。古くからある考え方である。しかし「親からもらった命をむやみに棄ててはいけない」という主張にははっきりいってまったく説得力がない。一体なぜ親からもらったものを破壊してはいけないのか? それは全然明らかでない。

ある人は、人から授かったものは大切にしなければいけないじゃないか、と言うかもしれない。しかし、それは単にそうすることが自分の生存にとって有利な結果をもたらすからではないか? それだけでは、「人からもらったものである」という属性が「みだりにそれを壊したり棄ててはならない」という属性に必然的につながることは示されない(もしもそれが「神からもらったもの」であるとしても、話はやや違ってくるが、結論としては同じである)。

またある人は、親にもらった命を棄てることで、迷惑をかけたり、悲しませたりしてはいけないのだ、と言うかもしれない。しかし自殺者にとっては彼らの死がその後どんな影響を持つかなどまったく関係ないのではないか。残された友達が、親が、教師が悲しみにうちひしがれているとき、本人は既に死んでしまっていて、なにも感じることなど出来ないのだから。「あなたが自殺したら大変なことになるよ」という主張は、自殺を決意したものにとってはどうでもよい話である。そのような者に「自殺してはいけない」ということを主張するためには、つまり、自殺が引き起こす可能性のある結果(consequences)を用いることは無駄であるということだ。

またある人は、親にもらった命を大切にするのは、人間として自然で当然なことだ、と言うかもしれない。しかし実際に自殺を選ぶ者の数だけをみても、この主張が間違っていることは明らかである。人間は自らの判断で自分を殺すことができる。したがって、生みの親の気持ちを常に考えるということが、動物的直感として人間に備わっているとも思えない。そもそも、「親からもらった命をむやみに棄ててはいけない」ということが信じられないから、自殺という選択が可能性として提示されるのである。また、より実際的な次元で話をすれば、例えば親の暴力が原因で自殺に追い込まれているようなものにこの主張が有効だろうか?

今ざっと見ただけでも、「親からもらった命をむやみに棄ててはいけない」という主張がいかに根拠のない、考えられていないものであるか感じられると思う。

もちろん僕は、「自殺してはいけない」ということを「三角形の面積は底辺と高さの積の半分である」ということと同じように(演繹的に)証明しろと要求しているのではない。「自殺してはいけない」ということは、少なくとも「自殺してはいけないということはない」ということと同じくらい証明不可能である。僕が言いたいのは、「自殺してはいけない」ということを信じる理由や根拠はまったくないということだ。特に宗教的な信仰のアイディア(つまり「生」を神聖なるものとして見ること)無しでは、「生」の不可侵性を主張することは不可能であるように思われる。

しかし、一般的に、真実でないこと、または真実であることが明らかでないことを、あたかも絶対的な真実であるように主張することはいけない。それは嘘をつくことであり、無責任な発言をするということであるから。これらのことから、「死んではいけない」と言ってはいけない、という結論が導かれる。

まだ「死んではいけない」という行為の意味の二つ目の可能性が残っている。しかし、記事が長くなったので、これは次回に送ることとする。とにかく、「自殺していけない」のは一体何故か、という問いに「そう教わったから」とか「なんとなくそういう気がするから」という理由以外で答えることが出来るか考えてみると良い。もしも説得力のある考えを思いついたら、是非教えていただきたい。もしも説得力のある理由を挙げることができないならば、あなたの「自殺してはいけない」という主張は単なるドグマに過ぎず、それは例えば「月はチーズで出来ている。科学が何と言おうと、証拠がなかろうと、とにかくそうなのだ」と言い張る者の主張となんら変わらない。


posted by Yuuki at 09:21 | Comment(1) | TrackBack(0) | On Language
Comments to this post
関連ポスト:
「死んではいけない」と言ってはいけない(2)
http://cahier9.seesaa.net/article/30834631.html
Posted by Yuuki at 01/04/2007 23:54
Post a comment
Name: [required]

Email:

Web:

Comment: [required]

Code: [required]


*画像の中の文字を半角で入力してください。
*Please enter the word in the image.


“Preview”で確認後、“Submit”で投稿して下さい。
TrackBack URL for this post
http://blog.seesaa.jp/tb/30035510

Trackbacks to this post