01/09/2007

反復とZeit(スーパーエッシャー展レヴュー)

渋谷東急のBunkamuraザ・ミュージアムで1月13日まで開催中の「スーパー・エッシャー展:ある特異な版画家の軌跡」を観てきました。昨年のダリ回顧展の反省を活かして平日の午前中に。それでもかなり混んでましたが。

展示は4つのセクション(+資料)に別れていて、それぞれ(1)青年期の習作的なもの、(2)イタリア旅行などから主題を得た風景版画、(3)平面の正則分割(regular division of the plane)を応用した作品、そして(4)数学アイディアを応用した視点を錯綜させるような晩年の作品をフィーチャしています。出品点数は180点あまりで、これはダリ回顧展の2倍以上なので、こっちもかなり本格的な回顧展です。

なので、一点一点じっくり観ていくとそれなりに時間がかかります。僕はコートとトートをロッカに入れた時に時計をポケットから取り出すのを忘れてしまって時間がわからなかったのですが、ややゆっくりめにまわっていたら随分腰も痛くなってきて、終わってみたら結局3時間半近くギャラリーにいたようです。

結論というか、非常に大雑把な印象を先に言うと、全体としてはとても良かったんですけど、なんかこう、心にガツンと残る衝撃的な作品がなかったという感じです。特に晩年の作品(展示の後半)はどこかで観たことがあるものも多く、新鮮な気持ちで作品に遭遇する(encounter)ことができなかったのも原因かもしれません…。

で、そう考えているとじゃあ心に残る絵ってなんだろう、という疑問が自然に出てきます。もっと正確に言うと、エッシャーの絵を観るということはどういうことか。エッシャーの作品を観る時、一体何を観ているのか(=何が観えていないのか)。それはイメージか、パターンか、アイディアか、それともそれらの関係か。

エッシャー本人の写真を今回初めて見ましたが、ネクタイをきっちり締めセータを着て、大きな眼鏡の上の白髪はキチンと整えられていて、版画職人というよりは数学者といった風貌です。では美しい数式に感動することとエッシャーの平面の正則分割作品に感動することとはどういう関係があるのでしょう。

エッシャーノート」(cat. 97)と呼ばれている資料が展示されていて、これはエッシャーが平面の正則分割による作品群のための幾何学パターンの理論を体系的に研究してまとめたものですが、僕はこれを読んで初めてその前後の作品群がどのようなパターンの組み合わせから成り立っているのか(基本パターンなのか、また何種類かあるその発展系なのか)を具体的に意識して鑑賞することができました。

例えば、基本ユニットが4つの形(例えば2つの異なる形a、bとそれぞれの鏡像a'、b')からなる場合には、ユニットはそれぞれ自分と同じ形と4点で接しているのですが、基本ユニットが6つになると一つの頂点に集まっている形の数もしっかり6つになっている、とか、そういう観察ができます。(こういった数学的法則に「エッシャーノート」といういわば種明かしの本を読んで初めて気がつく、というところが僕の数学的発想力の決定的な乏しさを示しているのですが…。)

とにかく、確かにこのような秩序をイメージの中に発見すると、いわゆる「アハ!」な瞬間(a-ha! moment)があって、それは快い驚きです。でもそれは他の“普通の”絵画作品を観た時にもたらされる感動とは少し異なるもののようにもお思えます。

物事には感覚に訴える要素と思考に訴える要素があります。前者は例えば色や形、音や匂い、後者は例えば(直感的に明らかでない)反復や対比、それから因果とか偶然性などです。エッシャー展を廻って「心にガツンと残る衝撃的な作品がなかった」という印象を持つのは、彼の最も有名な作品群に後者を特別に意識されるものが多いからではないでしょうか。

平面の正則分割による作品はもちろん、第4セクション「特異な視点、だまし絵」の作品の多くも、正多面体、メビウスの輪、ネッカーの立方体、ペンローズの三角形、消失点と遠近法など、そういった幾何学/トポロジー的なアイディアを絵画的に示したものです。つまり、一見奇妙で少し不気味でもあるイメージ(例えば昆虫とか爬虫類)が完璧な数学的秩序と融合していること、あるいはその逆に、一見問題なく見える構成が三次元で実現不可能であること、そういったことを感覚と思考の両方によって発見する、というところにエッシャー作品を鑑賞する一つのポイントがあって、それは例えばピカソのゲルニカを初めて目にしたときのような思考に有無を言わせぬインパクトとは一線を画するものだということです。

もちろん、そういった数学的秩序に基づいたイメージが感覚に強く訴えることがないということではありません。これは、例えば対位法をまったく知らなくてもバッハの音楽を美しいと感じることができるのと同じです。この意味では僕は「三つの球体III」(cat. 132)、「上と下」(cat. 134)、「ドラゴン」(cat. 139)などは良いな、と思いました。

エッシャー最後の作品である「蛇」(cat. 152)も見事なものですが、これはまた形式(form)と内容(content)の関係に関する別の美学的問題を喚起させるものです。

まだエッシャーがここまで書いてきたような数学的アイディアを応用した作品を細作する前、彼はイタリア各地の風景版画(第2セクション)を数多く残しています。これらの作品は彼の版画やリトグラフによる詳細な描写技術を確立するものであり、晩年の作品と関連づけるといろいろおもしろいことが想像できます。

平坦な国オランダで生まれ育ったエッシャーにとって、イタリアの海に向かって切り立った岸壁やその周囲の建築物、また山の麓に不規則に屋根が密集しているような集落は「不思議な魅力」を持った風景だったそうです。

各々で見れば直線や直角など基本的な形の組み合わせでできている建築が、地理的な制限によって不規則に密集している、そしてその周りを複雑なカーヴで成り立っている山や海が覆っている。なぜこのようなイタリアの風景が特にエッシャーの創造意欲を喚起したのでしょうか。

木版画という表現手段(medium)にその端的な理由があるように僕は感じました。黒地に白い線を刻み込むことだけで、形だけでなく色やテクスチャまで表現するこの手法では、線の規則的な反復によって面を表現するという行為が非常に重要です。木版画によるこうした必然的な秩序あるパターニングが、現実の風景の不規則性にオーヴァーラップする、そこに現れる奇妙な感覚にエッシャーは魅力を感じたのかもしれません。

実際、彼の風景版画の構図の多くは、まさに木版画という手段によって制限されているかのように感じました。つまり、黒と白、明と暗のコントラストがもっともバランスのとれた状態であらわれるような構図が選ばれているわけです。「ボニファチオ、コルシカ島」(cat. 54)、「カルヴィの城砦、コルシカ島」(cat. 55)、それから「マルセイユ」(cat. 83)などがわかりやすい例です。また、アマルフィ海岸のアトラニ(cat. 63, etc.)という街にエッシャーが特別な関心を寄せていたのも、海に突き出た白い家々が形と色の効果的なコントラストを形成していたからかもしれません。

風景と版画の技法の芸術的融合、エッシャーはその可能性を「夜のローマ」シリーズ(cat. 71-78)で追求します。しかしこの興味深いシリーズを鑑賞して一つわかることは、版画という方法は動きを捉えることに向いていないということです。つまり、この時期のエッシャーの作品には、時間が流れていないのです。このことが必然的に彼を、人間や動物といった題材から離れさせ、静止した形の集合であるところの風景に向けさせたのではないでしょうか。

こう考えると、ムッソリーニの台頭によってイタリアを追われてスイスに非難したエッシャーが、既に述べたような数学的アイディアに傾倒していったことの必然性が浮かび上がってくるような気がするのです。すなわち、平面の正則分割や幾何学的な次元のゆがみを応用した作品群は、反復を完全な基礎エレメントとする版画という手段によって動き、つまり「時(Zeit)」を表現するための最も効果的な戦略としてとらえることができる、ということです。

モティーフの変化など、表面的な部分だけを観ていると、ギャラリー前半と後半とでまるで別のアーティストの作品展のようにも思えてしまうのですが、上に述べたように、形式と内容、そして表現手段を「反復とZeit」というアイディアで結びつけることによって、M. C. エッシャーという「ある特異な版画家の軌跡」というものがより明確に認識されるように思います。

そんなことを考えさせられる、素敵な展覧会でした(そんなまとめ方かよ)。子供から大人まで気軽に楽しめますよっ(笑・スタッフか!)。

* * *

あ、あと無料ガイドがニンテンドーDS Liteを使ったものなのですが、それが結構良くできてます。驚きました。これから鑑賞される方には是非お勧めしたいです。あ、あとグッズの販売でカードが一万円以上じゃないと使えないってのが不便だな、って思いました。

* * *

あ、それから「反復とZeit」というこの記事のタイトルはもちろんドゥルーズの『反復と差異』の駄洒落ですけど、「反復」という概念は労働とかマシンとかと結びついていて、それについてもエッシャーは間接的に言及しているのですが、そんな話を考えていくと、マルクスだのベンヤミンだのデリダだのとっても難しい話になるのでしません(ってかできません)。


posted by Yuuki at 23:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | On Art
Comments to this post
Post a comment
Name: [required]

Email:

Web:

Comment: [required]

Code: [required]


*画像の中の文字を半角で入力してください。
*Please enter the word in the image.


“Preview”で確認後、“Submit”で投稿して下さい。
TrackBack URL for this post
http://blog.seesaa.jp/tb/31146816

Trackbacks to this post