「またね」と言って微笑むことは、なんという残酷な欺瞞でしょう! 私たちは「さよなら」という言葉を発する決定的な勇気を持っていない。私たちの肺は脆弱で、喉は震え、唇は乾いている。「さよなら」はあまりにも重く、あまりにも茫漠に私たちの感覚にのしかかってきます。
しかし、「さよなら」から目をそらすことは決してできません。井伏鱒二が「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」と書いています。「さよなら」はすべての存在の影。すべての出会い、別れ、そして再会にさえも、「さよなら」は静かに寄り添っている。
そしてあらゆる言葉は「さよなら」から逃れえません。凡ての歌、祈り、そして沈黙は、「さよなら」の残響であって、「さよなら」の予感です。さよなら! ああ、そして「さよなら」はすべてことごとく「永遠のさよなら」なのです。もう、再び会うことはない。風景とも、人とも、自分とも。
「さよなら」は帰るべき家を持ちません。それはいつもよそ者で、いつも、いつまでもさまよい続ける。あてどなく、あてどなく孤独に。「来るべき者」、それは(いつも、いつまでも)地平の果てにいる。だから「さよなら」は太陽に、現在に、そして愛にさえ背を向けて歩きつづけるのです。
そんな「さよなら」でさえも抑圧して、再会の約束を交わすこと…私の心はここで、ついに破綻してしまいます。
さよなら!
01/14/2007
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なんかヨーロッパとかのさよならの挨拶は明るくていいな〜と思ってしまう。。笑
欧米か!
でも確かにそうだね。“Ciao!”なんかも明るいし。
“Adieu”も“Adios”も、それから“Ade”も元々は“A + Dieu”で、英語だと“to + God”、つまり“あなたに神のご加護がありますように”ってことだね。「さようなら」は「左様なら」、つまり「それじゃあ(用事も済んだので…)」ってことだから、そういう考え方がない。
あ、もちろん“Auf Wiedersehen”は“Wieder + sehen”だから、「さようなら」だけど「またね」だね。おもしろい。