09/10/2007

僕には君が必要だということを、君が知ってることを僕は知ってる

好きなお笑いコンビは誰かと聞かれたら、僕は、爆笑問題、さまぁ〜ず、そしてタカアンドトシをあげる。これら3組に共通しているのは、彼らの芸の中に、相方に対する絶大な信頼が感じられるということだ。俗に言う「コンビ愛」である。

* * *

タカアンドトシの「ケチャケチャラジオ」で、こんな場面があった。

話を脱線し続けるタカにトシがややキレ気味でツッコむと、それがタカのツボに入ったらしく、彼は笑いをこらえることができなくなった。「なんだよ急に、どしたんだよ」と怒り気味にトシが聞くと、タカは絞り出すような、でも嬉しそうな声で「…ほんっとオレいじらせたら世界一だよなお前…」と笑いながら言ったのである。

相方に対するこれ以上の賛辞を、僕は知らない。トシは「何言ってんだよお前は急に」と言っていたが、本当は照れていたに決まっている。タカは本当に素直な人のように思う。

* * *

さまぁ〜ずの「さまぁ〜ずさまぁ〜ず」を見ていると、この二人がいかに仲が良いかわかる。

一人が話題をふると、もう一人はすぐさまそれに関してボケる(揚げ足をとる)。それでひとつ笑いをとっておいて、その後はきっちり「それでそれで?」と、話題に戻ってくる。お互いの話をお互いが聞きたがっている。三村も大竹も、相方の話を嬉しそうに聞く。

普段からあんな調子で会話しているのだろう。一度「内村プロデュース」のドッキリで、仕事に向かう車内での二人の様子を隠し撮りしていた時に、普通の会話がごく自然にコントのように発展していく、という様子が見られた。

* * *

爆笑問題の場合は上の2組とはちょっと違うのだが、ラディカルでエキセントリックな太田の言動が、田中の絶妙なツッコミによって暴走寸前でコントロールされているのを見ていると、お互いがお互いのキャラクタをほとんど直感的に知り尽くしている、という感じがする。

太田はしばしば番組内で田中を馬鹿にする。ラジオではもっとひどい。「お前はホントに大馬鹿野郎だ」と何度もしつこく言う。しかし、こういった太田の言動に対して、田中は(少なくとも番組内では)決して感情的になることなく、少し笑いながらいいわけをしたり、時には「いやーほんとそうだよなぁ、はっはっは」と、自分のことなのに笑って認めてしまう。

また、映画や文学、そして政治に関して太田が熱く語るときも、田中は決して飽きたようなそぶりを見せたりしないし、かといって不用意に太田に賛同することもなく、淡々とした態度で聞き役に徹している。

「この作品はもうね、ほんとに、言葉ではとてもじゃないけど表現できないくらい、もう、とにかくさ、ほんとに、すごいんだよ!!」とオーバーヒートする太田に対して、田中は「ふ〜ん。そうなんだぁ」と飄々と答えるのである。これが凄い。これ以上でも以下でもいけない。田中の「普通さ」があってはじめて、太田が常識の限界をつくことができる。

(この点を立川談志は爆笑問題のデビュー当時から見抜いていて、それで彼は太田に「田中は絶対に離すな」とアドバイスしたのであった。)

* * *

ネタの良し悪しとは別に、このような信頼が芸の中に見えると、それだけで何故かほのぼのした、嬉しい気持ちになる。このようなパートナを見つける、というのは生きている幸せである。このような関係が可能である、ということを知ることは希望である。

「プライベートでも仲が良い」と言われるコンビは他にもたくさんいるが、もちろん僕はそのような表面的なレベルでの話をしているのではない。言葉に表せるような信頼ではなく、行動ににじみ出てくるような信頼のことを言っている。

重要なのは、この信頼が相互に自覚されていることである。つまり、お互いがお互いを必要としていることをお互いに知っていて、しかも自分が相手を必要としていることを相手が知っているということをも自分は確信しているのである。

このようなレシプロシティー(recipricity)は、コミュニケーションの可能性を考える上で非常に重要である(グライスの理論を見よ)。

* * *

誤解を恐れずに言えば、このような信頼は“宗教的”である。信じるということはどういうことか、というのは難しい問題だが、誰かを信じるのは、誰かを絶対的に必要とするからである。他の何をもっても代えられない、という依存である。

ティリヒは「信仰とは究極的に(なにかを)気づかっている状態である(Faith is the state of being ultimately concerned)」と言った。気づかいの対象を神と呼ぶが、これは他人でもいいし、その場合は他人に顕われるところの神となる(アウグスティヌス的な考え)。

とにかく、「気づかい」という言葉には、自分だけでは決して完結しない、という圧倒的な不安と、何か自分以外のものに対する根源的な依存が含意されている(シュライエルマッハにつながる考え方)。

タカとトシ、三村と大竹、そして太田と田中、それぞれがそれぞれの相方無しでは絶対にやっていけないだろう。このことは、個人の芸人の能力の低さを示すのでは決してなく、むしろこれらのコンビの必然性を強調するものである。

* * *

要は、人と関わりあうことは、神様と関わりあうこととそんなに変わらないのではないか、ということである。しかも、神様はひとつで、そう簡単に交信できるものではないが、人は毎日たくさんの他人と関わっているのである。

ヴィトゲンシュタインが次のように書いたのは、このようなことでもある。「確信をもって神を信じることができるのなら、他人の心も信じることができるのではないか(Wenn Einer mit voller Sicherheit an Gott glauben kann, warum dann nicht an der Andern Seele?)」

posted by Yuuki at 07:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | On Religion
Comments to this post
Post a comment
Name: [required]

Email:

Web:

Comment: [required]

Code: [required]


*画像の中の文字を半角で入力してください。
*Please enter the word in the image.


“Preview”で確認後、“Submit”で投稿して下さい。
TrackBack URL for this post
http://blog.seesaa.jp/tb/54685909

Trackbacks to this post