聞くところによると、販促の駅貼りポスタの出来がなかなか良いらしく、岩波書店のプレスリリースには
各界を代表する著名人8 名の方に、自身を象徴する「ことば」と共に登場いただき、キャンペーンの統一テーマである「ことばには、意味がある。」というメッセージを、力強く打ち出して参りますと書かれています。登場する8人とそれぞれの「ことば」は、以下の通り:
太田光 「笑い」正にそうそうたるメンバで、デザインも(小さな画像で見る限りでは)モノクロの写真に赤い文字でシックに仕上がっているように思います。実際に駅構内に貼ってある所を見てみたかった…。
黒柳徹子 「命」
桑田真澄 「努力」
椎名林檎 「私」
高見のっぽ 「あそぶ」
手塚治虫 「夢」
美輪明宏 「自由」
吉田美和 「愛」
さて、爆笑問題の太田さんは「笑い」という言葉について次のメッセージを寄せています。
「笑い」は、「表現」に対する「答え」であり、その「表現」が伝わったという「証拠」です。[中略]「笑い」は、未知の感情への「冒険」です。そして、「爆笑」は、「大冒険」です。太田さんにとって「笑い」という言葉にはこんな意味がある、ということですが、ここでおもしろいのは、このメッセージにおける「笑い」という言葉の“意味”は辞書を引いて発見できるような「意味」ではない、ということです。実際に辞書で「笑い」を引くと「笑うこと。また、笑う表情・声」(大辞林 第二版)などと、何とも味気ない“定義”が書かれているだけです。
太田さんが語っているのはどちらかというと「笑い」の「意義」つまり「重要性(signification)」に近いもので、辞書に載っているような「意味」つまり「定義(definition)」とは異なるものです。辞書はあくまで言葉の「意味」を知るためのもので、言葉の「意義」については教えてくれません。それは、自分で見つけ出さなければいけない。こう考えると、一見とてもお洒落に思えるこの広告にも、どこか「意味の“ずれ”」のようなものを感じてしまいます。
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そもそも、岩波書店が今回のキャンペーンの統一テーマとして掲げている「ことばには、意味がある。」という標語も、少し考えてみると相当大胆な(そして、ひょっとすると無責任な)ものです。というのも、ことばに意味がある、という事態は深い謎に満ちていて、哲学的にもとても難しい問題だからです。
「日本語の乱れ」や「間違った日本語」について話す時によく挙げられるのが「情けは人のためならず」ということわざの“意味”ですが、今では本来の意味に加えて、誤解されたもう一つの“意味”も、辞書に“正式な”意味として掲載されるほど広まっています。
また、「全然」という語の後で肯定文を修飾する(「全然大丈夫です」等)のは誤りである、ということもよく言われますが、その一方で、実は、かの夏目漱石を初め、戦前の文学や学術論文ではこの“誤った”用法が散見される、ということも知られています。
意味や用法だけでなく、言葉の読み方も時代によって変化します。例えば「捏造」は元々は「でつぞう」と読み、「ねつぞう」はその後定着した慣用読みだそうです。「相殺(そうさい)」も最近では「そうさつ」と読まれることが、また「御用達(ごようたし)」は「ごようたつ」と読まれることが多くなってきていて、他にも同様の例はたくさんあります。
また、哲学者ヴィトゲンシュタインは、「熱い」という言葉で「冷たい」を意味すること、またその逆に「冷たい」という言葉で「熱い」を意味することは不可能なのではなく、ただとても難しいだけである、というようなことを言っています。
実際、「流れに棹さす」や「役不足」といった表現を間違って使っている人がいても、ほとんどの場合は文脈からその人の言わんとすること(つまり“意味”)は理解することができます。「取りつく“暇”もない」や「“シュミ”レーション」といった音の間違いも同様です。
このような事柄を考えていると、「正しい意味」なんてあるのだろうか、いやもっと言えば、果たして言葉に意味なんてあるのだろうか、という気がしてきます。意味があるのは言葉ではなくて、言葉の“使用”に過ぎないのではないか、と思えるかもしれません。とても頭のよい哲学者達が、この問題について何十年もかけてあーでもないこーでもないと考え続けているのです。
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『広辞苑 第六版』のスローガンがもしも「ことばには、意味があるのだろうか?」だったら、僕はもう少し好感を持てたかもしれません。ただ、店頭用ステッカー(下の画像)の「勉強中。」ということばは嫌いじゃないです。ことばを使って生きる限り、人はいつでも、いつまでも「勉強中」なのでしょうから。
