
昨日(25日)付けで、哲学のDistinguished Major Programを修了するための論文を、二人の審査員に提出しました。今学期はこの論文のためのリサーチの他には哲学のクラスをとっていないので、これで僕の4年間の哲学専攻学部生としての仕事は一応全部終わり、ということになります。
標準的な哲学の学部卒業論文は30〜40ページ(10000語強)ほどで、僕のが2週間ほど前に40ページを大きく越えた時には、アドヴァイザのMにも「50ページを越えるようなら注意しなさい」と言われたのですが、結局最後には参考文献3ページ込みで99ページ、本文33755語、脚注3393語という長さになってしまいました。
再来年の冬から夏にかけてオックスフォードで執筆予定のBPhil論文(修士論文に相当)の上限が100ページで30000語ですから、長さだけでいえばそれを越えています。そう考えると、100ページというのは思ったよりも長くなく、それほど大それたことは書けないな、という感想です。テーマを相当上手く絞り込まなければいけない、ということがわかりました。
印刷した論文を審査員の教授のオフィスのドアの下から滑り込ませようとした(夕方過ぎだったので教授はすでに帰宅していた)のですが、さすがに100枚強の紙の束は分厚く、留めているクリップが通りませんでした。結局、半ば突っ込むような形で置き去ってきました(笑)。
感無量、というと大げさかもしれませんが、長距離走を走り終えたような感覚はあります。クオリティはさておき、一応完成を見たということに、自分でも驚いています。誰もこの喜びを分かち合う人がいないのが少し残念ですが。
誰も読まないでしょうが、そのうち本サイトにPDFファイルでアップロードしようと思ってます。
アメリカの大学(少なくともうちの大学)では、学位取得のために全学部生が卒業論文を書かなければいけないということはなく、実際に卒論を書くのは特別な優等課程を履修している人だけです。うちの学科では、今年卒業の哲学専攻は50人弱いるらしいのですが、このうち卒論を書いているのは10人に満たないです。
僕の印象では、日本の学部生の多くは書きたくもない卒業論文を必修として課せられ、結果として引用文のパッチワークのような実り少ない論文を卒業資格取得のためだけに提出している、という感じです(あくまで印象ですが)。論文を書くのも、審査するのもそれなりに大変な仕事なので、僕個人としては、本当は、卒業論文というのは、書きたい人あるいは書く能力のある人だけが書けば良いという意見です。
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授業は来週の火曜日で終了で、学部生活もあと僅か。幾つかペーパが残っていますが、99ページの論文を書き終えた後では、それほど危機感を感じません(笑・良いことでもあり悪いことでもある)。
タイトルはなんて言うんですか??
その通り。フルタイトルは、「Performing Speech Acts: On the Dialogical Structure of Illocutionary intention」ね。日本語に訳すと「言語行為の遂行:発語内行為的意図の対話的構造について」か。いかにもって感じで仰々しくていいね(笑)。“Illocutionary act”の「発語内行為」という訳は、今調べて初めて知った。
渡ってしまった(笑)ようです。こんにちは。
あなたのページいろいろ拝見させて頂き、
たたずまいの素敵な方だなと感じました。
訳詩もたいへん参考になりました。
ありがとうございました。
どうぞお元気で
佳き日々を。
setsuko.m
初めまして。コメントありがとうございました。
向こうのサイトのほうは更新もなかなかできず、本当に細々とやっているのですが、ミヤオ様のような方からフィードバックをいただくと大変嬉しく、励みになります。
詩を書いていらっしゃるのですね。ディキンソンの他にも、僕の好きな英米詩人で日本ではほとんど知られていない人達はたくさんいるので、なんとか時間を見つけて紹介したいとは思っているのですが。