6月4日。64。ろく、よん。む、し。虫、蒸し、無視。逆にすると46。よん、ろく。よ、む。読む、詠む。「読む」の反対は「無視」。「愛」の反対が(「憎しみ」ではなくて)「無関心」であるように。
4、6、6、4。よん、ろく、ろく、よん。よ、む、む、し。世、夢、無、死。あるいは。酔、霧、務、…詩。それが生きることの四相。これもまた思想。生そのものの死相。読むことと無視することのはざまで生きる。
大学の授業がある時は、宿題のリーディングをこなすのにいっぱいいっぱいで、自分の趣味の読書(“Casual reading”という)などほとんどできないので、次は何を読もうかなどと考えることもない。
そして、長期休暇に入っていよいよ自律的に読書プランをたてる、ということになると、あらためて自分の浅薄な読書量に驚かされる。自分はまったく本を読まずに生きてきた。
哲学を勉強しているというと、いかにもたくさん本を読んでいるというイメージがあるが、僕の場合はそうでもない。絶対的な読書量が少なくても、それらしいことが書ければごまかせてしまう、というのが、哲学という専攻に対して僕の持っているひとつのイメージでもある。
それに、僕は哲学書・思想書はもちろん、歴史関連にも全く疎いし、文学にいたっては洋の東西を問わずはなはだ無知であって、それなのに美学だとか芸術哲学をやりたいなどと抜かしているのだからこれはもうちゃんちゃらおかしい。
プロの哲学者になるためには、読書を労働とみなしてこなさなければならない。けれど、このような意識を強く持つことは、とても難しい。それは、読むのが遅い、とか、理解力が乏しい、とか、そういう知的・認知的制限に依拠する難しさではなくて、(またしても)“倦怠”(ennui)という存在論的な難しさである。
読むことに関しても、書くことに関しても、僕にはどうやら言葉ということ対してフェティッシュのようなものを感じているように思える。だから僕の書く文章は冗長だし、読むのも異常に遅いのではないか、と思う。まずはそれを克服しなければ。でもどうやって? 読むことによってのみ、である。
06/04/2008
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